引用:Netflix
Netflixで独占配信中の韓国ドラマ『私の解放日誌』。
5月29日に最終回を迎えましたが、そのラストについてさまざまな解釈がされています。
こちらでは、『私の解放日誌』の最終回・ラストについて、個人的な視点からネタバレ感想を綴っていきます。
事前にお伝えしておきたいのは以下!
- 個人の感想であること
- ネタバレ有りの感想であること
- 執筆者は韓国ドラマ歴がまだ2年
- 元はただの映画好き
最終回を視聴し終わってから、自分の中に溜まっている言葉と感情を少しでも整理するための、これは、この文章自体が「執筆者の解放日誌」であると思っていただけると幸いです。
最終回のラスト|あの後2人はどうなったのか?
最終回を見終わった時に、一番最初に感じたのは
「お、終わってしまった!」
でした。
明確な結末とは言い難い、視聴者の解釈を委ねるような描き方だったと思います。
気になるのは、
- あの後、ミジョンとク氏はどうなったのか?
- あの後、ク氏はどこへ向かったのか?
- あの後、2人は一緒にいるのだろうか?
という点。エンドロールを見ながらモヤモヤとこれらについて考えているうち、だんだんと自分が「答え」を知りたがっていることに気が付きました。
これまでずっと16話をかけて、「一歩一歩生きていく」こと描いていたドラマに、分かりやすい結末を望んでしまっていたんだと思います。
こう思えたとき、自分の中のモヤモヤしたものが解放された気がしました。
とは言え、これまで彼らが物語の中で生きてきたように、これからも物語の中で生き続けます。
その行く末を少し想像するくらいなら許してもらえるのでは?と思い、いくつかの点から各登場人物について考えてみました。
ミジョンとク氏|その後について
ミジョンとク氏は、「きっといつか再会するだろう」というのが、最終回を見終えたあとの私の感想です。
クローゼットに貯めてあった大金を部屋から持ち出し、どこかへと向かうク氏。そして、愛を湛えたミジョンの笑顔でエンドとなった本作。
ク氏は、お金を持ってどこか遠くへ1人で逃げたのか?
それとも、お金を持ってミジョンのところに行ったのか?
または、お金の力で今の環境と縁を切りに行ったのか(ギャンブル狂の先輩のために)?
明確な答えは分かりませんが、ドラマ内のこんなやり取りを思い出しました。
第15話、ミジョンがク氏にこんなことを質問します。
「私たちは “2” それとも1対1?」
それに対し、ク氏は小首をかしげ「俺を警戒している?」と聞き返し、2つの選択肢から答えを出しませんでした。
彼らは、「2」でもなければ、「1対1」でも無かったのではないでしょうか。
彼らはきっと、「1と1」だったのだと思います。
互いに運命だったし、互いを救う存在で、心が瀬戸際まで来た時には引き戻してくれるような。そんな二人であることは間違いありません。
だからこそきっと「いつか再会するだろう」し、離れていることが障害にはならないはずです。
「1と1」である2人は、それぞれ自分自身の手で自己を取り戻し、個々に自分の足で立ち、そして同じ形をした者同士として存在し続けるのではないでしょうか。
ク氏は殺される?
元々韓国映画視聴歴の方が長かったクセで、最終回のラスト前、
「え、ク氏、まさか殺されないよね?」
と思ってしまったのは事実。
映画であれば殺されるフラグがビンビンの演出。
最後の数秒間はホントにハラハラして、「やめて?ビターエンド、やめて?ミジョンのこの慈愛に満ちた笑顔のカット!殺されるフラグっぽくて怖い!」とビクビクしていました。
一応、殺されはしませんでしたが、この後も絶対殺されなかった……とは言い切れません。
とは言え「ク氏が殺される」という線は、個人的には薄いかな、と。
なぜならきっとそんな時は、ミジョンがク氏をこちらへ引き戻すはずですから。
チャンヒとギジョン|「解放クラブ」を続けていくということ
最終回の中で、一度解散した「解放クラブ」が再始動しました。
元々自分を解放するために始めた「解放クラブ」で、ささやかな変化をしてきたミジョンたち。
しかしミジョンの転職がきっかけなのか一度解散してしまい、あとは各自で続けていくはずが、どうやら自然消滅してしまっていたようです。
本の出版に関わらず、もう一度「解放クラブ」をやってみようと決めた彼らは、「もう一度やってみること」と「続けていくこと」を選択しました。
これは、チャンヒとギジョンにも通じることではないでしょうか。
チャンヒとギジョンは、自分たちが田舎に住んでいることが大きな足枷になっていると考えていました。
しかしソウルに移ってからも、サンポ市にいた頃と比べ何かが劇的に変わっていたという訳ではありません。
たった一つの出来事がドラマチックに物事を変えるというのは、現実にはなかなか起こらないものですよね。
変わるきっかけにはなるけれど、そこで停滞したり失敗したり、思ったような結果を得られないこともある。しかし、「もう一度やってみること」。そして「続けていくこと」で、一歩一歩、私たちは幸せに近づいていくのだと教えてくれているようでした。
まとめ
叙情的な表現も多く、見る人によって意見が分かれるであろう『私の解放日誌』。
最終回の解釈も、1つとは言い切れない余韻に溢れていました。
しかし、人が人として生きていくと言うのは、こういうことの繰り返しなのかもしれません。
パッーっと、スカッと解放されるわけではない。
日常の中で、ほんの少しずつ心に光を蓄積していく。そのことがきっと私を軽くしてくれる。そして満ちていくその光を愛と呼ぶのかも知れませんね。
また一つ、好きな韓国ドラマが増えました。